大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ラ)210号 決定

抗告人

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

安間雅夫

外一二名

相手方

笠間繁雄

外九〇名

右九一名代理人弁護士

飛鳥田一雄

外一八名

主文

本件抗告を却下する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一抗告人の求めた裁判

一原決定を取り消す。

二相手方らの訴訟救助付与申立てを却下する。

三手続費用は相手方らの負担とする。

第二抗告人の主張

一抗告人の本件訴訟救助付与決定に対する即時抗告権について

1  民訴法一二四条は、訴訟上の救助を与える決定(同法一一九条)を特に即時抗告の対象から除外していないし、しかも、即時抗告をなし得る者の範囲を何ら限定していない。旧民事訴訟法(明治二三年四月二一日法律第二九号。大正一五年法律第六一号による改正前のもの。)一〇二条一項は、「訴訟上ノ救助ヲ付与シ又ハ其取消ヲ拒ミ若クハ費用追払ヲ命スルコトヲ拒ム決定ニ対シテハ検事ニ限り抗告ヲ為スコトヲ得」と定めて、訴訟救助付与決定に対して抗告をなし得る者は国庫の代弁者の地位に立つ検事に限られるとの立場を採つていたのに対し、現行民訴法一二四条が前述のとおり即時抗告をなし得る者の範囲につき何ら限定的な規定を設けておらず、また、民訴法一二二条が、訴訟上の救助を受けた者が訴訟費用の支払をなす資力を有することが判明し又はこれを有するに至つたときは、利害関係人が救助の取消し等を申し立てることができる旨規定しており、右利害関係人に訴訟救助申立ての相手方(以下単に「相手方」という。)も当然含まれると解されている(大審院昭和一一年一二月一五日決定・民集一五巻二二〇七頁)ことからしても、訴訟救助付与決定に対する即時抗告をなし得る者の範囲は限定されず、右各規定は、相手方にも右権利を認める趣旨であると解すべきである。

2  抗告人は右訴訟救助付与決定について法律上の利害関係を有するものというべきである。

すなわち、民事訴訟において当事者に訴状その他の書類に印紙を貼用させ、かつ、攻撃防御に関する訴訟費用を当事者に自弁させている理由は、訴訟制度を利用する当事者に受益者負担的観点から費用を負担させるということに加えて、これにより濫訴の弊を防ぐとともに、原・被告当事者双方の利益を平等に保護する趣旨に出たものであると解されるところ、一方当事者に訴訟救助付与決定をなすことは、右当事者をして相手方当事者より訴訟遂行上有利な立場に置くことになり、相手方当事者はこれにより直接不利益を被ることになるのである。これを具体的にみると、民訴法一一八条の要件を欠く訴訟救助付与決定がなされたとするならば、相手方は、いわれのない濫訴に対応を余儀なくされ、また、印紙不貼用を理由として訴え却下の判決を求め得なくなるのであつて、かかる相手方の不利益は正に法律上の不利益といわなければならない。民訴法は、民事訴訟の進行における基本的な制度として二当事者を相対立させて審理を進めていくという対審構造を採用しており、訴訟遂行上なされた一方当事者に対する決定は他方の当事者の利害と密接に関係してくるものであるところ、訴訟救助手続についても右の審理方式が適用されないとする理由はなく、右に指摘した訴訟救助付与決定を受けた相手方の被る不利益が、単なる反射的利益にすぎないとすることは、右の民事訴訟の制度の趣旨にも反することになるといわなければならない。

3  ちなみに、裁判の実務においても、訴訟救助付与決定をなすに当たつて、相手方からの意見書の提出及び各種の疎明資料の提出が認められ、原裁判所が本件訴訟救助付与決定を相手方である抗告人にも告知していることは、相手方が訴訟救助付与決定に対する即時抗告権を有することを当然の前提としているものと考えられる。

二本件本案訴訟の勝訴の見込みについて

1  民訴法一一八条は、訴訟救助付与の要件の一つとして「勝訴ノ見込ナキニ非サルトキ」と規定する。これは、救助制度の濫用を防止する見地から要求されているものであり、一般に勝訴の見込みがないことが確実でないという程度と解されている。

2  ところで、相手方らの本件本案訴訟の請求の趣旨は、

(一) 被告は、自ら又はアメリカ合衆国軍隊をして、原告らのために、

(1) 厚木海軍飛行場において、毎日午後八時から翌日午前八時までの間、一切の航空機を離着陸させてはならず、かつ、一切の航空機のエンジンを作動させてはならない。

(2) 厚木海軍飛行場の使用により、毎日午前八時から午後八時までの間、原告らの居住地に六五ホンを超える一切の航空機騒音を到達させてはならない。

(二) 被告は、原告らに対し、訴状添付別紙損害賠償額一覧表D欄記載の各金員及び同一覧表A欄記載の各金員に対する昭和五九年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

(三) 被告は、原告らに対し、(一)項(1)の航空機の離着陸及びエンジンの作動の禁止並びに同項(2)の航空機騒音の到達の禁止が実現されるまで、当該月の末日ごとに一箇月につき各二万三〇〇〇円の支払をせよ。

というものである。

これを本案の訴状に表示された訴訟物の価額に照らしてみると、原決定が納付を猶予した貼用印紙額は、右請求のうち差止請求といわゆる過去の損害賠償請求に対応するものと推認される。

しかしながら、差止請求に係る訴えは、結局国に対し公権力の行使又は不行使の発動を求めるものにほかならず、民事訴訟としては許されないものであり、また、右は統治行為に該当する事項に対する判断を前提とするなど、裁判所の判断事項を超えるものであるから、いずれにしても不適法な訴えといわなければならない。そして、このことは、既に判例上も確定されているところである(最高裁昭和五六年一二月一六日大法廷判決・民集三五巻一〇号一頁、東京地裁八王子支部昭和五六年七月一三日判決・判例時報一〇〇八号一九頁、横浜地裁昭和五七年一〇月二〇日判決・判例時報一〇五六号二六頁)。

3  右のとおり、差止請求の訴えは、勝訴の見込みがないことが確実とみるべきである。

ちなみに、横田基地訴訟にかかる東京高等裁判所昭和五六年(ネ)第二二七五号・昭和五七年七月九日決定は、右事件につき申し立てられた訴訟救助の許否を判断するに当たり、差止請求については勝訴の見込みがないものと判断している。

三相手方らの無資力について

1  訴訟費用、特に裁判所に納める費用の負担は、裁判制度を利用しようとする国民に課せられた公的義務であり、後に最終的な費用負担者が決定されるまでは、右利用者においてまず所定の費用を出捐すべきこととされている。民訴法一一八条所定の訴訟救助の制度は、右の例外として、訴訟費用の支払を一時猶予しようというものである。したがつて、経済的困窮のために裁判を受ける権利が不当に制約されてはならないことはいうまでもないが、他方、本来国民として負担すべき義務のけ怠が許されてよいはずはないのである。訴訟救助制度の運用はかかる観点からの調和を見出だしつつ、適正、妥当に行われなければならない。

してみると、右の無資力とは、訴訟費用の負担が単に救助申立人に経済的圧迫を強いるという程度では足りず、それ以上に、その負担が通常の日常生活を営む上で支障、困窮をきたす事情となる程度の経済状態をいうものと解すべきである。また、経済面からみても、我々の日常生活は、特段の事情のない限り、例えば家族のように生計を同一にする生活共同体を単位として営まれているのが社会の実態である。したがつて、申立人の無資力の判断は、その者と生計を同一にする者らの資力をも合わせて行われるのが社会常識に合致するのである。これを要するに、同条にいう無資力とは、訴訟費用の支払を命じた場合、救助申立人自身及びその家族など生計を同一にする者らが、通常の日常生活(職業・地位を保つための最小限度の必要な生活)を営む上で支障、困窮をきたす経済状態をいうものと解するのが相当である。

2  更に、無資力の判断に際し重要なことは、今日の我が国の国民生活が著しい向上を遂げているという事実に留意し、その判断は各申立人らの生活に即して実質的に行われるべきであるということである。

その判断に際しては、一定地域の勤労者の単純平均収入を求めるなどして漫然と今日の平均的生活レベルないし中間階層を把握し、救助申立人らがその程度に達しているか否かで無資力者かどうかを決するという手法が実務上もしばしば採られている。しかし、右のような手法は相当ではない。けだし、平均的生活者ないし中間階層を把握し得たとしても、その経済レベルが実質的にどの程度のものであるのかの検討をすることなく、これを下回る者を直ちに無資力者と推定することは著しく合理性を欠くからである。

そして、今日の我が国における国民生活の飛躍的な向上の事実に照らすと、かかる平均的生活者の経済力は著しく向上しており、特段の事情のない限り、「平均」、「中間」などの抽象的基準をもつて無資力の判断の基準とすることは明らかに不適当というべきである。すなわち、例えば敗戦直後のように全体に経済力が低下し、生活程度も低い時代の下での訴訟救助制度の運用であれば、平均的な中間階層を基準とすることの合理性を首肯し得る余地があるかもしれない。しかし、今日の我が国の国民生活は全く事情を異にしている。それは、国民一般の支出の費目が実に多種多様にわたつていることからも容易にうかがわれるように、我が国の今日の国民生活は、その全体がかつての生きていくだけの域から脱し、経済的には多種多様の興味を満足させ、また各種の生活利益を確保し得るだけの裕福な状況にあるのである。換言すれば、今日の我が国の国民の経済的な生活程度は、特段の例外は別として、そのほとんどが生活に困窮をきたすことなく裁判制度を利用し得るだけの経済力を保有するに至つていると評価するのが経験則に沿うというべきである。したがつて、今日では、例えば生活保護世帯等あるいは特に高額の訴訟費用を要する場合等特段の例外を除いては、訴訟救助制度はその運用の必要性を失つているといつても過言ではない。

以上のとおり、民訴法一一八条の無資力の判断は、当該訴訟費用の負担が救助申立人及びそれと生計を同一にする者らの通常の日常生活に困窮をきたすことになるかどうかを、実質的に検討して行うべきである。したがつてまた、かかる実質的な判断をなし得るためには、申立人のみの経済力にとどまらず、生計を同一にする者らの資力に関する疎明資料のほか、同人らの職業、地位、年齢等、申立人の属する生活共同体の規模、構成、生活程度等を明らかにする疎明資料が必要、不可欠である。

3  ところで、原決定の救助を付与した貼用印紙額を相手方ら一人当たりにつき各々の訴額に対応して算出すると、差止請求部分を合わせてみても最高額で三万九四八〇円、最低額ではわずか七三三四円にすぎない。この程度の負担が相手方らの生活に支障、困窮をきたすなどということは、特段の事情のない限り到底考えられないことである。

四以上のとおり、原決定は、相手方らについて、差止請求につき勝訴の見込みの判断を誤り、また、無資力の判断についても、その解釈を誤り、ひいて疎明がないのにもかかわらず無資力者であるとの判断をしたものであつて、民訴法一一八条の解釈・適用を誤つた違法があり、取り消されるべきである。

第三相手方らの主張

一抗告人の抗告権の不存在

1  訴訟救助制度は、専ら国に対して基本的人権保障のための特別の措置を求めるものであつて、当該訴訟の相手方を対立当事者としてその手続に関与させることを基本構造としていないというべきである。

抗告人は、対審構造が民事訴訟の基本であることを相手方に抗告権を認めるべき一つの根拠としているが、もともと対審構造は権利義務の存否を争う当事者について攻防の機会を与えるためのものであつて、訴訟物とは無関係な附随手続についてまで不必要な当事者の関与を要請するものでないことは明らかである。例えば、一方当事者のした裁判官忌避申立てについては、これを理由ありとする決定に対しては勿論理由なしとする決定に対しても、相手方当事者は不服申立てができないものと解されている。抗告人の論理には明らかに飛躍がある。

また、民訴法一二四条が明文上相手方を抗告申立人の範囲から除外していない点についても、同条は旧法が個々的に通常抗告を許していた場合を即時抗告として一括した以外に他意なきものというべきであり、同法一二二条の訴訟救助取消申立権者にしてもそこでいう利害関係人としては執行官や付添弁護士が予定されているものとみるべく、相手方当事者は訴訟費用の担保提供を要求できる場合以外は利害関係人とは解されない。

2  訴訟救助付与の決定について、その相手方は利害関係がなく、これに対する抗告権を有しない。例外として抗告権を認めるべき場合があるとしても、それは訴訟救助付与決定によつて申立人の訴訟費用の担保提供義務が免除され、相手方が応訴拒絶権を行使できなくなる場合に限られる。これは前記のように当該訴訟の相手方を対立当事者として手続に関与させることを予定していないことから、当然に導かれる帰結である。それなのに相手方に抗告権を認めれば、訴訟救助手続の原審は対立当事者構造をとらないのに抗告審だけが対立当事者構造になるという極めて奇妙な手続構造になつてしまう。

3  もともと訴訟救助制度に濫訴防止の機能・役割が付託されているわけではない。「勝訴ノ見込」の要件は、訴訟救助の制度が濫用されることを防ぐ趣旨であり、訴訟自体の濫用を防ごうというものではないのである。なおまた、訴訟救助手続内で濫訴を防止しようとすれば、その対象は自ずから原告が無資力者(と認定されようとする者)である場合ということになるから、一般的な濫訴防止策としては期待できないばかりか、ここでも有資力者と無資力者が訴訟機会について別異の取扱いを受けることになり、かくては無資力者にも裁判を受ける権利を保障しようとする訴訟救助制度の趣旨に反することにもなりかねない。濫訴かどうかは微妙な判断を要する場合も多く、本案訴訟の中での攻撃・防御と訴訟指揮に委ねられるのが本来の姿であろうし、それ以外の濫訴防止策は別途講ぜられるべきであろう。いずれにせよ、訴訟救助手続に濫訴防止の役割を求めるのは筋違いというべきである。

また、訴訟救助によつて受ける利益はたかだか裁判費用の支払の猶予という微々たる内容にすぎない現行制度のもとにおいては、仮に資力があるのに違法に救助を与えたとしても、武器対等の原則が不当に乱されたとは到底いえるものではない。したがつて、公平という観点からも、相手方に不服をいわせる必要はない。

4  更に、訴状の却下が可能なのは被告への訴状送達前のことであるところ、訴訟救助の申立てを受けた裁判所は、訴訟救助付与決定をした段階でその確定を待たずに訴状を送達するのが例であるから、訴訟救助手続の原審段階から対立当事者として相手方を関与させない限り、そもそも相手方には訴状却下を求める機会は存しないのである。そのような機会が与えられていないのは、他の一般の場合も同様であり、訴訟救助の申立てがなされた場合だけ被告(相手方)にこの機会を与えるべき理由は何ら存しない。

相手方が原告の印紙不貼用を理由に訴え却下の判決を求め得る利益は、国が原告の納付すべき裁判費用の支払を猶予する措置をとらないことから生ずる単なる反射的利益に過ぎず、抗告によつて保護を求めるべき利益ではない。

5  裁判実務において相手方の意見書・資料の提出が認められることがあつたとしても、それは当事者としての攻防というべきものではなく、せいぜい裁判所が判断するに当たつての参考資料の提供にとどまることであるし、そもそもこのような行為を認めるべき根拠はなく、その是非自体おおいに疑問である。また、裁判所は訴訟救助決定を相手方に告知すべき義務は本来ないのであって、実務上告知されているとしてもそれはただ相手方に対し、訴訟救助申立人については訴状への印紙不貼用のまま、あるいは証拠調べに必要な費用を予納することなく適法に訴訟遂行ができることとなつたことを知らしめる意味を有するに過ぎないと理解すべきものである。

6  以上のとおり、訴訟救助申立ての相手方である抗告人は本件付与決定につき利害関係を有せず、また本件本案訴訟は被告が訴訟費用の担保供与を申し立てて応訴を拒むことのできる場合に該当しないから、抗告人には抗告権がない。

二差止請求の勝訴の見込について

1  民訴法一一八条にいう「勝訴ノ見込ナキニ非サルトキ」とは、必ずしも勝訴の見込みがないことはない、積極的に勝訴する可能性が強いというのではなく、勝訴の見込みがないことが確実でない、という意味であり、問題のある困難な法律問題を完結的に判断することは、訴訟救助付与の手続の目的ではないから、見解の対立する法律問題について最上級裁判所の確定判例がない場合又は最上級裁判所の判例はあるが、これに対して下級審の有力な反対判例又は反対学説がある場合には、勝訴の見込みは肯定されるというべきである。

2  今日、違法な人格権侵害に対しては、損害賠償請求のみならず、人格権に基づいてその違法行為の差止めを民事上の請求として求めることができることは広く認められている。このことは、違法行為者が国であろうと地方公共団体であろうと全く同様の理である。

確かに、抗告人が指摘する最高裁昭和五六年一二月一六日判決が存在するが、これには四人の裁判官の有力な反対意見があり、特に中村治朗裁判官の指摘するように、多数意見が根拠とする「航空行政権」の意義内容やこれと空港管理権が「密接不可分」とする論理は極めてあいまいで、何故差止請求が公定力を有するという意味での行政処分の取消変更ないしその発動を求めることになるのか理解に苦しむところである。むしろ、右事件について差止請求を認容したその第一審及び控訴審判決の方こそ論理的に正当というべきであり、学説のほとんどもこれに賛成している。

このように、右最高裁判決は、未だ判例として確立したものとはいえず、流動的なものというべきである。

3  本件厚木基地に関しては、抗告人の挙示している横浜地裁昭和五七年一〇月二〇日判決があり、右判決は、自衛隊と米軍が共同使用する厚木基地は国の営造物としてその設置・管理に瑕疵があるとして国賠法二条一項に基づく損害賠償請求を認容しながら、差止請求については不適法として却下している。

ところで右判決は、自衛隊機の飛行差止めについて、前記最高裁判決に倣い、飛行場の管理・自衛隊機の運航は「防衛行政権」の行使と「密接不可分」であるから差止請求は防衛行政権の行使の取消変更ないしその発動を求めるものであるという。そして、右「防衛行政権」なるものの内容は、飛行場が自衛隊の任務と防衛庁の権限に基づき設置・管理・運営されていることや防衛庁長官らが自衛隊員の自衛隊機運航を指揮監督・命令していることに求められている。

しかし、いかなる目的でいかなる根拠に基づいて国の営造物が設置・管理されようと、右営造物と特別な関係に立たない全くの第三者である周辺住民との関係では、いかなる意味でもそれが公権力の行使(行政処分)でありえないことは自明の理である。更に自衛隊員との関係はあくまで防衛庁ないし自衛隊の組織内のことであつて、これによつて第三者との関係で自衛隊機の運航が公権力の行使となることはありえない。前記最高裁判決における「航空行政権」の場合はまだ一般国民に対する行政というニュアンスが窺われないでもないが、この「防衛行政権」に至つては完全に論理が破綻しているというべきである。

民事上の請求としての差止めは、その認容判決の結果行政機関が何らかの作為・不作為を求められることになるにしても、それは判決の附随的・反射的効果にすぎず、それは例えば国が使用中の土地の明渡しを正当な権利者から求められた場合に、いかなる行政目的があるにせよ立ち退かざるを得ないのと全く同様なのである。右のことは、厚木基地の米軍機の飛行差止請求についてもそのまま当てはまる。前記横浜地裁判決は外交交渉を義務づける行政上の義務づけ訴訟に当たるから不適法だとするが、仮に判決の結果国がその実現のため外交交渉を必要としようが、それは事実上の反射的効果にすぎず、請求自体の適法性とは無関係である。

4  抗告人の挙げる横田基地に関する東京地裁八王子支部昭和五六年七月一三日判決は、専ら米軍が基地の管理運営権限を有するものとされており、本件とは事案を異にし、また、東京高裁昭和五七年七月九日決定は、勝訴の見込みについて前記の問題が伴うほか、一審敗訴の控訴審における訴訟救助申立てであるという事案であつて、いずれも本件の参考にはならないものである。

三無資力要件について

1  訴訟救助制度は、現行憲法下においては、貧困者に対する国の恩恵的制度ではなく、憲法三二条、一四条に根拠を有する福祉国家の財政上の義務と観念すべきものである。したがつて、訴訟救助制度は、裁判による国民の権利保護の要素として、貧富を問わずすべての国民にその権利保護の機会を保障することを目的とする。しかし現行の訴訟救助制度は、救助の対象が限定されていたり、仮の免除であることなど、その制度目的に照らして決して十分なものとはなつていない。したがつて、この不完全な訴訟救助を付与するについて、貧困者を狭く制限するとき、この制度は、全くその機能を果たし得なくなるのである。

抗告人は、今日国民生活は飛躍的に向上しており、訴訟救助制度はその運用の必要性を失つている旨の主張をしているが、甚だしい認識不足というほかない。今日でも「生きていくだけの域」をさまよつている人々は無数に存在するし、一般的生活水準が向上したとしてもその生活はその時々の一般的生活様式に規制され、貧困は常に存在するのである。裁判手数料を負担しきれないためにやむなく一部請求にとどめる例、費用の制約から十分な訴訟活動ができない例、弁護士費用を支払えないため訴訟を断念するケースなど、今日でも枚挙に暇がない。抗告人の主張は、暴論とのそしりを免れないであろう。

2  民訴法一一八条にいう「訴訟費用」とは、裁判費用ばかりでなく、調査・準備費用、弁護士費用等、その訴訟を維持遂行するに必要な諸費用を含めて理解すべきである。更に、本件のような公害訴訟においては、因果関係の科学的調査研究、その他の立証活動に多額の費用を要することになるから、「訴訟費用」と相対的に考慮されるべき無資力要件は、相当に緩和されて然るべきである。広域にわたる不規則かつ多様な騒音の状況の把握、その身体・精神・日常生活へ及ぼす多面的かつ複雑な影響の調査研究、多数の弁護士の活動の必要性等の本件訴訟の性格からすれば、その訴訟救助付与基準としての年収は相当高額であつて然るべきである(原決定のとつた基準は年収三八〇万円という極めて低い額である。)。

ちなみに、総理府統計局家計調査による昭和五八年全国平均年間実収入は四八六万円余であり、厚木基地に関する第一次訴訟では、八年前における第一審訴訟救助基準が三三〇万円(消費者物価指数によつて換算すると四九五万円になる。)、二年前の控訴審訴訟救助基準が四〇〇万円とされている。

3  無資力の判断に当たつては、家族の収入は考慮すべきではなく、当事者本人の資力について判断すべきである。

これは、親子・夫婦であろうと全く別個の権利義務の主体とする現行法体系の中では極めて当然の帰結である。また、一般に訴訟というのは親子・夫婦の日常生活の一環ではなく、特別な出費を要する特別な事象であり、扶養義務や婚姻費用分担義務の範囲に入ることは考えられない。更に、訴訟救助決定の効力は一身専属のものとされており(民訴法一二一条)、これは無資力性を個人毎に判断すべきことを当然の前提にしているものと解される。

また、実際的にみても、例えば主婦がその意思に基づいて提起した訴訟について夫の協力が得られるという保障は何もなく、裁判費用を含めて多額に及ぶ訴訟遂行費用の負担は、夫の善意に期待するしか方法がない性格のものである。我が国においては現在でもなお、一般に妻の夫に対する従属性は強く、まして自らの稼得収入のない主婦の立場からすれば、家計の中から本件のような訴訟費用を自由に拠出できるものではないのである。まして、夫がなにがしかの資産を有していたとしても、それを本件訴訟のために処分させるなど、およそ考えられないことである。

更に、家族の資力を考慮することになると、訴訟救助申立人は事実上資力のある家族の同意なしには訴訟を提起しえないことになり、申立人の裁判を受ける権利が害される結果にもなりかねない。

4  原決定は、「訴状に貼用すべき手数料の納付」についてのみ救助を付与している。この点は相手方らとしても大きな問題であると考えているが、敢えて抗告を差し控えた。しかし、それによつて相手方らは、今後本案訴訟を遂行するうえで、証人費用、検証費用、鑑定費用等、裁判費用だけでも相当多額の負担を強いられることになる。しかも当事者費用、弁護士費用を含めれば莫大な経済的負担を覚悟しなければならない。そのうえ、本案訴訟の相手は殆ど無限大の経済力と機構を有する国なのである。このような本件事案の性質・内容と訴訟救助制度の意義に照らし、原決定は十分な救済措置になつていないことを重視すべきである。したがつて、救助額が低額であるからそのくらいなら負担できるはずである旨の抗告人の論理は、全く倒錯した考えかたである。

のみならず、訴訟救助の一部付与が実務上一般に是認されている今日、右の論理でいけば、救助費目を細分化することによつて各個の訴訟救助決定によつて付与されるべき救助額が低額になる結果すべて負担しうる額となつて、結局本来訴訟救助を付与されて然るべき者が全くこれを否定されることにもなりかねない。

したがつて、訴訟救助対象が低額であることは訴訟救助付与そのものを否定すべき理由とはなりえないというべきである。

四以上の次第で、本件抗告は不適法であり、また、原決定には何らこれを取り消すに足る不当な点はなく維持されるべきである。

第四当裁判所の判断

一決定に対する抗告は、当該決定により不利益を受けた者に限りこれをすることができるものであるところ、訴訟救助付与申立手続は、専ら、裁判所に対し訴訟上特別の措置を要求するものであり、ただ形式的にのみ裁判手続とされているだけであつて、当該本案訴訟の相手方は対立当事者としてその手続に関与するわけではなく、しかも、訴訟救助付与の決定は、国との関係において、訴訟救助を受けた者に対し裁判費用の支払を猶予する効果が生じるにすぎないから、その相手方の本案訴訟における攻撃防御の方法に関して直接不利益が生じるいわれはなく、訴訟費用の担保の申立てのできる場合を除き、相手方がこれにより直接の不利益を被るものではない。

民訴法一二四条は、「本節ニ規定スル裁判ニ対シテハ即時抗告ヲ為スコトヲ得」と規定し、規定上訴訟救助付与の裁判に対して即時抗告ができることとされ、これに対して不服申立てを禁じてはいないものの、同条及び同法一二二条のいずれの規定においても、本案訴訟の相手方が即時抗告を提起し得ることを明記しているわけではない。抗告人は民訴法一二二条が利害関係人において救助決定の取消申立てができることを規定している趣旨からも救助決定に対し本案訴訟の相手方においても抗告できる旨主張するけれども、同条の救助取消しは、救助決定に対する不服申立てとはその趣旨を異にし、救助決定後救助を受けた者の資力回復を理由に(「勝訴ノ見込」がないことを理由とすることはできない。)これを取り消すものであるのみならず、その申立人も「利害関係人」と規定され、これが取消しにつき利害関係を有する者からの申立てによることのみ認めており、本案訴訟の相手方が単にこれに関する当事者であるとの理由のみで、その取消申立てに利害関係あるものとして、その申立ての適格があるものとは解せられないので、右各規定から直ちに抗告の利益の有無にかかわらず相手方の抗告権を認めることはできない(なお、旧民事訴訟法(明治二三年四月二一日法律第二九号。大正一五年法律第六一号による改正前のもの。)一〇二条は「訴訟上ノ救助ヲ付与シ又ハ其取消ヲ拒ミ若クハ費用追払ヲ命スルコトヲ拒ム決定ニ対シテハ検事ニ限リ抗告ヲ為スコトヲ得」と規定していたのに対し、現行民訴法一二四条では前示のように抗告権者につき何ら制限を加えた規定の形式をとっていないけれども、その改正の経過において、救助決定に対する抗告権者をとくに制限しないために現行法のような規定に改めたものとは解せられない。)。

また、相手方は、右決定によつて訴状への印紙不貼用を理由とする訴え却下の判決を求めうる利益を失うことになるものの、これは右決定による直接の不利益ではなく、訴訟救助付与決定の直接の効果である右印紙を貼用することを猶予されたことから生じる反射的間接的な不利益に止どまり、これをもつて相手方の抗告の利益を肯定することは相当ではない。

更に、抗告人は、いわれのない濫訴に対応することを余儀なくされる旨主張するが、訴訟救助の要件である事由は、「勝訴の見込みがあること」ではなく、「勝訴の見込みがないわけではない」ことをもつて足りるのであるから、この要件は訴訟救助申立人の手続利用の真摯性を要求する趣旨であつて濫訴の防止を直接の目的とするものではなく、また、訴訟救助付与裁判所が右要件を積極的に認定したからといつて、これにより相手方が不利益を受けるわけではない。抗告人主張の事由をもつて抗告を認めることは、勝訴の見込みを本案の決着に直接に影響しない訴訟救助付与手続において争わせることになり、本案訴訟手続の上に更に同一方向の無益な手続を余分に重ねることになるのみならず、原裁判所が訴訟救助付与決定をするに際し既に、「勝訴ノ見込ナキニ非ザル」との判断をしているのにもかかわらず、これが相手方に被害を及ぼす濫訴でありうるとみている点においても不当のいうべきである。提起された訴えが濫訴であり、これによつて不利益を被ると主張する被告は、訴訟救助付与手続においてではなく、本案訴訟手続において濫訴であることの具体的事実を主張立証してこれを根拠に本訴の却下等を求めるべきであり、濫訴の防止をもつて抗告により保護すべき利益とすることはできない。

以上のとおりであつて、単に本案訴訟の相手方であるというだけでは、訴訟救助付与決定に対する抗告の利益を認めることはできないところ、相手方らが訴訟費用の担保提供義務を負う者に該当しないことは、本件記録に徴して明らかであり、他に抗告人につき本件抗告を適法と認めるに足りる特別の事情(なお、実務上訴訟救助付与決定をなすに当たつて、相手方に意見書等の提出が認められることがあるとしても、それは対立当事者としての攻撃防御を認める趣旨ではなく、単に裁判所が判断をするに際して参考資料とされるものにすぎず、また、訴訟救助付与決定の告知をされることから当然に抗告権が認められるものでもない。)を見出だすこともできない。

二そうすると、本件抗告は、不適法であるから、これを却下することとし、抗告費用につき民訴法四一四条、三七八条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官舘 忠彦 裁判官牧山市治 裁判官赤塚信雄)

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